木崎原の戦いをきっかけに衰退し、ついに豊後に向けて出奔した伊東義祐を復帰させる名目で日向に攻め込んだ大友宗麟は松尾城(延岡市)に土持氏を攻め滅ぼし牟志賀(延岡市無鹿)にキリスト教の理想郷を造ろうと試みる。 大友勢は南下し山田有信の守る高城を取り囲む。一方、島津義久は大友氏と雌雄を決すべく佐土原に入り島津義弘隊などが前進して高城川(現小丸川)をはさんで両軍が対峙する。 はじめ攻め込んでいた大友勢は、島津の伏勢と高城守備兵に挟撃され壊滅。島津勢は戦線を一気に耳川まで押し上げた。 結局牟志賀にいた宗麟をはじめ豊後勢は日向から撤退。大友氏衰退の遠因となり、島津氏は版図をさらに大きく拡げていくことになる。 また、大友氏敗戦の影響でいたたまれなくなった伊東義祐は豊後を離れ、1585年堺で客死するまで伊予・周防などを流浪することとなる。
ビューポイント/高城(無料Pあり)、松山塁、宗麟原供養塔(無料Pあり) |