赤花城
あかばなじょう |
所在地 えびの市岡松赤花
概要 足利尊氏が鹿児島県吉松日当山に入ったときののろし場があった。 |
飯野城
いいのじょう |
所在地 えびの市原田城内
築城者 日下部重貞
概要 別名・亀城、亀箇城、鶴亀城、亀之城。1160(永暦元)年に、真幸院の収納使日下部重貞が築いた。のち北原氏が支配。1564(永禄7)年島津忠平(後の義弘)が入る。元亀3(1572)年5月4日、夫人を住まわせていた加久藤城が伊東勢にう回攻撃を受けたため、忠平はわずかな兵を率いて救援に向かった。これが、木崎原合戦のはじまりだった。本丸、二の丸、三の丸の主郭や見張り台、枡形、射場と呼ばれる遺構がある。長さ約10mの石塁も残っている
雑感 一度車で攻め込んだが、あまりに路が狭いので途中で引き返して以来そのままになってしまっている。登城途中の川土手などに車をとめて歩いていくのが一番いいのではないかと思うけど、なにしろ途中棄権なので……(^^ゞ |
池山城
いけやまじょう |
所在地 えびの市西長江浦西ヶ迫
概要 応永年間頃の領主、北原民部少輔兼珍の弟・佐伯能登守の居城。 |
稲荷城
いなりじょう |
所在地 えびの市栗下谷川
概要 南北朝期、吉田地頭・坂兵部房覚英の一族の居城。 |
今城
いまじょう |
所在地 えびの市大河平柿木原
概要 大河平城が手薄なため、島津義弘が築いた。1564(永禄7)年、伊東氏の攻撃で落城した。 |
上江城
うわえじょう |
所在地 えびの市上江山神 |
大河平城
おこびらじょう |
所在地 えびの市大河平元屋敷
概要 狗留孫(くるそん)峡谷を通り、球磨へ抜ける道を押さえる要衝にある。菊池氏の末裔である大河平氏が築いたもの。 |
柿木城
かきのきじょう |
所在地 えびの市栗下城ケ崎 |
加久藤城
かくとうじょう |
所在地 えびの市小田城内
築城者 北原氏
概要 もとは北原氏の支配下にあった。島津忠平(後の義弘)が真幸院に入ったとき大改修を加え、川上三河守を守将とし忠平の夫人を住わせた。木崎原合戦の緒戦の舞台となる。もともとは主郭の久藤城に中城と大手を守る新城を加え加久藤城と呼ばれるようになったという。淨慶城(えびの市小田内鶴)まで含めた城域は、南北約400m東西約650mに及ぶ
雑感 飯野城同様、路の狭さに難渋して途中で登城を棄権した。R268沿いにあるスーパーに駐車して歩いてくのがベターかと思われる。近くに、地元民が建てている城郭風建築物群があるが、これは昔のものとは全く関係なし。 |
金丸城
かなまるじょう |
所在地 えびの市原田金丸
概要 かつては飯野城の三の丸といわれていた。城域内に秋葉神社がある。 |
掃部城
かもんじょう |
所在地 えびの市大明司越シ
概要 別名、野城。木崎原の戦いのときの島津義弘が拠点にした城のひとつ。 |
球磨陣
くまじん |
所在地 えびの市坂元高野
概要 相良氏が陣をしいたところ。 |
古城
こじょう |
所在地 えびの市柳水流古城 |
小城
こじょう |
所在地 えびの市大明司宮本
概要 大明神の城、大明司塁とも呼ばれる。相良、伊東、島津の間で争奪戦がくり返された(『真幸院記』『木脇家文書』に記述あり)。 |
小城
こじょう |
所在地 えびの市小田二十里
概要 加久藤城の出城。 |
小屋敷城
こやしきじょう |
所在地 えびの市東長江浦鶴田越 |
薩摩陣
さつまじん |
所在地 えびの市坂元高野
概要 相良氏の侵攻に備えるため、飯野にいた松齢公(島津義弘)が守兵を置いたという。 |
猿ヶ城
さるがじょう |
所在地 えびの市柳水流頭無 |
新城
しんじょう |
所在地 えびの市西川北寺園
概要 東福城の関連城郭。 |
杉尾城
すぎおじょう |
所在地 えびの市内竪寺西 |
園田城(仮称)
そのだじょう |
所在地 えびの市榎田園田
概要 発掘後消滅。 |
田之上城
たのうえじょう |
所在地 えびの市上江田上
概要 1352(文和元)年、相良氏が真幸院に攻め込み、畠山修理の代官が拠っていたこの城を攻め落としたという。 |
田原陣
たばるじん |
所在地 えびの市原田田原陣
概要 別名桶平塁。1568(永禄11)年、島津義弘が貴久、義久に従って菱刈氏を攻めた際、その隙に乗じて伊東義祐がここに陣を築き飯野、加久藤を狙ったが、義弘が飯野に戻ったために果たせずに終わった。 |
長徳庵
ちょうとくあん |
所在地 えびの市原田稲荷下
概要 飯野城と加久藤城を結ぶ交通路の要衝にあり、付近に衆中屋敷も配置されるなど飯野城の西方を守る拠点であった。 |
東福城
とうふくじょう |
所在地 えびの市西川北宮ノ後
概要 別名、馬関田城。北原氏の支族・馬関田右衛門の居城。後に島津貴久、相良頼房に推された北原兼親に攻め取られる。亀之城、鶴ヶ城、多福城の三区画からなっていた。 |
徳満城
とくみつじょう |
所在地 えびの市東川北本丸、関川
概要 北原氏が築城。島津義弘がこの地域に入ったとき加久藤城の支城となる。高城、中之城、小城の三区画に分かれる。中之城には馬乗り馬場、井戸跡と伝えられる場所があり、小城には土塁が残る。 |
鳥越城
とりごえじょう |
所在地 えびの市池島鳥越
概要 木崎原合戦記念碑の南約0.5kmにあたり、伊東方が陣をしいたところ。 |
永野城
ながのじょう |
所在地 えびの市大河平永野平
概要 永野氏の居城。伊東氏の今城攻撃のとき、城主の永野伸左衛門は大河平氏に呼応して籠城したが降伏し、今城攻めに加担した。 |
西矢倉城
にしやぐらじょう |
所在地 えびの市灰塚西矢倉
概要 東矢倉城というのもあったようだ。 |
畑田城
はたけだじょう |
所在地 えびの市東長江浦城ノ下
概要 応永年間頃の領主、北原民部少輔兼珍の弟・某の居城。 |
平城
ひらじょう |
所在地 えびの市大明司平城
概要 永禄年間、島津氏の臣・井尻神力坊がここを守った。 |
古城
ふるじょう |
所在地 えびの市上江古城 |
松尾城
まつおじょう |
所在地 えびの市内竪寺西
概要 島津義弘が真幸院に入った際、鎌田尾張守、刑部左衛門父子が拠った。 |
丸之尾城
まるのおじょう |
所在地 えびの市内竪油田 |
溝園城
みぞぞんじょう |
所在地 えびの市西長江浦溝園
概要 応永年間に北原氏の守将が置かれたという。 |
宮之城
みやのじょう |
所在地 えびの市大明司広畑
概要 飯野城と加久藤城の間の連絡拠点。 |
妙見遺跡
みょうけんいせき |
所在地 えびの市東川北妙見
概要 九州縦貫自動車道により消滅。 |
見吉城
みよしじょう |
所在地 えびの市上島内三吉 |
吉富陣
よしとみじん |
所在地 えびの市大明司冬野
概要 吉富氏の居城。 |